『発光体』 目の前にこのほの明るく光る物体が現れて、もう彼此2週間になる。この2週間どこへも出かけられないのは、外へ出ようとすると発光体が大きく膨らんで前が見えなくなるからだ。一見暖かそうに見えるが手を伸ばし触ると酷く冷たく、そのクセ目の前でそれが膨張すると真夏の太陽のように顔が熱い。 …何なんだろう、これは? そろそろ食べ物が底をつきかけている。冷蔵庫に入れておいたキュウリから緑色の汁が滴り、トマトはぶよぶよにゆるみ、ピーマンが茶色く変色し・・・つまる所、生鮮食品がダメになった。もともとインスタント食品が嫌いな人間なので、その類の腐らない食品が無いのだ。もう食べられるものといったら米くらいしか無い。その米も残り少なくなってきた。八方塞がりだ。パチンコで勝った友人がプレゼントしてくれたカートンのマルボロライトを吸いつつ、これもまた残り少なくなってきたコーヒーを飲みながら考えた。 「このまま死ぬんだろうか?」 死。この発光体は俺を殺そうとしている? その時。発光体の中から女の声が聞こえた。 「愛してるの。貴方を。」 アイ? 「愛してるなら、俺をこの部屋から出してくれ。食料が無くなりかけているんだ。このままじゃ死んでしまう。」 クスリと女が笑う音。そう、もう声ではないのだ。これは音、だ。 「愛してるから、殺したいの。」 「矛盾してる。愛してるなら殺したくなるわけないだろ。」 「愛の形には色々あって、あたしの究極の愛は殺す事よ。あたしはずっとそうやって教えられてきたの。」 「……誰だお前。どうして俺なんかを愛する?」 「あたし?あたしは……」 女の音は、俺がよく知った人間の名前を言った。 「…どうして。お前はだって……」 「あたしは心の影なのよ。あの子の深いトコからあたしは産まれたの。貴方が死んだらあたし達は出会える。」 「…その後は?」 「さぁ?バラバラにして食べたりはしないと思うわ。」 「1つだけ、聞いてもいいか?」 「何?」 「どうして、女の声と口調なんだ?お前の“本体”は…男なのに。」 さっき音が口にした名前は、俺の親友の田村アキラのものだったのだ。 「愛してるからよ。…そうだ、あの子を聞かせてあげようか?」 「え?」 その瞬間、耳の奥に機械で合成されたような声が響いた。 『愛シテル、愛シテル、愛シテル。俺ハアイツヲ愛シテル。アイツハキット気持チ悪イッテ言ウダロウ。イッソアイツを殺シテ俺モ死ヌカ。其レクライシカ解決方法ガ思イツカナイ!』 『殺シテシマエバイイジャナイ?アタシガ手伝ウワ。』 『殺シタクナイ。』 『究極ノ愛ハ殺ス事ダッテ教エラレタデショウ。ママニ。』 『ママノ話ハシナイデクレナイカ?俺ガ愛シタ最初デ最後ノ女ノ事ハ…』 『ママトノセックスハ悦カッタ?』 『ウルサイ!』 「…どういうことだ。アキラは…」 「ご想像通りよ。あの子は物心ついた頃からママにセックスを強要されてきた。ママの中は熱くて湿ってた…自分が通ってきた所に自分自身を押し込むのは吐き気がするほどの快感をもたらしたわ…」 「…やめろ。俺には関係無い…」 「ある日ママはベッドの上であの子にナイフを手渡した。『あたしがイったらこれで殺して頂戴』って言いながら…」 「やめろ!俺には関係無い!」 「その瞬間あたしは産まれたの。」 「黙れよ!俺には関係無いって言ってんだろ!」 「関係ないことないわ。だってあたしとあの子は貴方を愛してるんだから。」 「ど…して……」 彼女…否、彼は現れた時と同じ位唐突に消えた。 光る物体はまだ俺の前にある。 外に出られなくなって、もう3週間と4日。米が無くなった。コーヒーも無くなった。 口に入るものはあらかた食べ尽くしてしまった。辛うじてまだ煙草は一箱残っている。 空腹に耐え兼ねて常備薬として買ってあった頭痛薬を噛み砕いた。胃液のように酸っぱくて苦い唾液を飲みこもうとしたが、俺の身体はそれを受け付けなかった。それでもほんの少しだけ空っぽの胃に入ったらしい頭痛薬の所為か頭がぼんやりする。天井を見つめながら煙草に火をつける。 「……ビール飲みてぇ………」 誰に言うでもなく一人ごちると、またあの音が聞こえた。ああ、ついにお迎えか? 「まだ生きてたんだ。人間ってなかなか死なないんだねぇ。」 「…多分もう死ぬよ。」 「随分殊勝じゃない。この前と大違い。」 「もうそんな体力ないんだよ。…なぁ、一個だけ聞いていい?」 「うん。」 「アキラ、どうしてんの?」 「あの子なら先に逝ったわ。」 「え?」 「昨日。」 「じゃあ何でお前はここに…」 「…実はあの子も今ここにいるのよ。」 「は…」 口を開きかけた俺を制止するように光る物体がもやもやとゆらめき、だんだんと人の形になっていく。表情までは分からないものの、それは確かにアキラの姿形を形作った。 「…アキラ……」 「ごめん。」 「謝るくらいなら最初からこんなことすんな。」 「謝るくらいしか思いつかなかった。」 「……なぁ。死ぬ前にお前にプレゼントやるよ。」 「え?」 「生憎俺はあの世なんて信じてない。だからこの世でお前にやる最初で最期のプレゼントだ。」 「何だよ…」 「好きだ。アキラ。」 「何言って……」 「愛してる。」 上手く動かない身体をなんとかなだめすかし、俺は光る物体に近づく。冷たい感触を覚悟していたら、思いがけず人の体温のような温かさが伸ばした手に伝わり少し驚いた。 「…唇、ここ?」 「え…あ、多分……おい…」 「アキラ、好きだ。」 人ではないものへの最初で最期のキス。 力なく崩れ落ちる自分の身体を少しだけ恨んだ。 「……プレゼント。」 「かっこいい事してんじゃねーよ……」 「……じゃーな。」 「……おう。」 生まれ変わったら(輪廻転生なんかそんなに信じてないけど)、絶対ビール飲んでやる。 そん時はお前も側にいていいよ。 キスまでした仲だからな。 『愛してるから殺したいのよ。』 |