『ハルノヒ、オンナハ。』



深夜なのにいつも通らない道を通ってみようなんて、大通りを外れたのが悪かったのか。
大音量でクラッシュなんか聴きながら歩いていたのが悪かったのか。…何はともあれ、俺は後ろからツンとする匂いのハンカチを鼻と口に当てられ意識を落とした。一瞬だった。
プロの仕事に違いない。一瞬のスキも無かったのだから。そして今、俺はとても高級そうなホテル―だろう―の部屋にいる。何故か首には首輪と鎖、手には手錠がついた格好で。
「…何コレ…。」
「あー、おはよ。やっと起きた。」
小柄な、金髪の女が窓際からゆったりと歩いて来た。年齢不詳の綺麗な女は至極のんびりとした仕草で、ニコニコしながら歩み寄る。 
「誰だよお前。何で俺こんなとこいて、こんなもん付けられて・・・」
「では、説明致しましょう。」
女はふざけた口調で服のポケットから黒く鈍く光る物を取り出した。目をよく凝らしてみるとそれは、拳銃だった。
「……俺殺されんの?何も悪い事してないハズだけど…。」
「ううん、コレに入ってる弾は一発だけ。」
「どういうコト?」
「あたしを撃つ為の、一発。」
「……自殺?」
「うん。」
「……で、あんたの自殺と俺、何の関係があんの?」
「今から明日まで、あたしが死ぬまでの時間ちょっと付き合って欲しいの。お金は払うから、バイトだと思ってくれればいいし。」
「付き合うって…」
「見取って欲しいの。最期を。」
「…………」
「自分で産まれてくるのを決める権利は無いけど、自分で死ぬ日を決める権利はあると思わない?」
「あー……、うん……どうだろ……」
猫のような目でじっと見つめられて、俺はバカみたいな返事しか返せなかった。
「じゃー、しばらくそのまんまでいてねー。」
「ちょっ、手錠は外してくれよ。逃げないから!」
「…手錠だけね?首は外さない。あぁ、トイレには行ける長さだから。鎖。安心していいよ。」
「………」
「あ、名前何ていうの?」
「……シュウ。」
「シュウ、ね。後……12時間、よろしくねー。」

時計はちょうど夜中の12時をさしていた。

首を回すと、鎖がジャラリと無機質な音を立てた。



監禁されている身というのは、案外ヒマなもんだ。最期を見取れと言った女は俺が座っているソファーの隣での
んびりと本など読んでいる。これから自殺を考えているなんて、到底思えない穏やかな表情で。

「なぁ。腹減った。」
「あ、ゴメンね。ルームサービスとる。」
監禁されていることを思わず忘れてしまいそうになる待遇の良さに、少し驚いた。俺なんか一生こんなホテルには泊
まれないかもしれない。程なく思いきり高そうなシャンパンとローストビーフの挟まったサンドウィッチが運ばれてきた。
「お酒、飲める?あたしが勝手に取ったんだけど。」
「ああ、うん。平気。」
女はサンドウィッチには手を伸ばさずシャンパンだけを口に運んだ。俺が食べるのをにこやかに見つめながら。
「何、あんたは食べないの?そんな見られると緊張すんだけど…。」
「あー、あたし人が食事してるの見るの好きなの。」
「趣味悪いよそれ…あ、そうだあんた名前何ていうの?さっき聞いてないし教えてよ。」
「まだ、内緒。」
「内緒って、どうして。」
「死ぬ時に教えたげる。そのほうがミステリアスでおもしろいでしょ。」
「…じゃあ、質問変えていい?」
「どうぞ。」
「どうして自殺なんてすんの?そんな事絶対しないように見えるのに。」
「その質問、後9時間たったらもう1回してくれない?」
9時間たったら、タイムリミットの10分前だ。
「…何で。」
「何でも。」
「…わかった。」
「シュウも好きにくつろいでて。…っていっても鎖あるから運動なんかはできないけど、見る限りでは筋トレ命の筋肉バ
カでもなさそうだし。まぁ、寝るでもあたしので良ければ本読むでも。」
「本、何があるの。」
「えーっと、グリム童話全集第一巻と中原中也詩集。」
「……何じゃそのセレクト。」
「夢見る文学少女だから。あたし。」
「アホか。中原中也ってあれだろ、汚れちまった悲しみに。」
「そうそう。あたしが好きなのはそれじゃないけど。」


俺達は取りとめも無い話をだらだらし続けた。時間を無駄に消費するように。

あっという間に陽は昇り、高くなり、時計の針は11時50分をさした。


「…なぁ。10分前。」
「あー、もうそんな時間かぁ。じゃあ、あの質問もう1回して。」
「『どうして自殺なんてすんの?』」
「…愛するものが死んだ時には、自殺しなきゃあなりません。愛するものが死んだ時には、それより他に方法が無い。」
「え?」
「中原中也。今聞いた通り。」
微かに憂いを帯びた表情で、女は全てを伝えた。ひょっとすると女は元役者だったりしたのかもしれない。何の根拠も無いが、
そう思わせる何かが女にはあった。この女が特別なのか、思いつめた女はみんなそんな表情をするのかは俺には分からない。
「……恋人?」
「うん。」
「あの世で一緒になろうとか思ってるの?」
思わず口をついて出た俺の言葉を、女は笑い飛ばした。
「まさか。江戸時代じゃないんだからそんな事思ってるわけないよ。意外とロマンチスト?」
「…うるさいよ。そんなに、好きだったの?」
「さぁ?それすらわからない。あたしが生きてたら、もっとあの人の記憶が思い出になってくから。そんなの嫌だから。」
「思い出がそんな嫌なのか?」
「嫌。」
「わからん……」
「わからなくてもいいでしょ。あたしとあなたは違う人間なんだから。」
「…まぁな。」
「じゃー、サイドテーブルの引き出しん中にお金と、鎖留めてる南京錠の鍵入ってるから。持ってって。」
「…おぉ。」
「さて、死ぬか。」

物凄く軽い調子で。

まるで戸棚の中にオヤツがありますよなんてサザエさんに出てくるような呑気な台詞を言うみたいに。

女は言い放った。

「…軽いなぁ。」
「あぁ、最期にもう一つ。あたしの名前は……」


こめかみにピストル。

にっこりと微笑み。

ゆっくりと口を開く。


「宮田、由真。」



静まり返った部屋に、俺は立ち尽くした。20万という大金を持って。銃口に加工がしてあったのだろう、プシュっと
マヌケな音を立てて『宮田由真』は死んだ。微笑みの表情のまま。ソファーに転がった中原中也の詩集を何の気無しに開くと、
何度も読み返したのか折り癖のついたページが現れた。
「…あ。」


愛するものが死んだ時には、自殺しなきゃあなりません。
愛するものが死んだ時には、それより他に、方法が無い。
けれどもそれでも業が深くて、なほもながらふことともなつたら。
奉仕の気持に、なることなんです。
奉仕の気持に、なることなんです。
(中原中也『春日狂想』より抜粋)


「…何だ、続きあるじゃねーか……」


詳しい事は何も知らない女だし、泣く気はしなかった。

ただ、どうしようもなく、せつなかった。

目の前の、息絶えた綺麗な女が。



「シュウ、ねぇどこ向かってるの?あたし昨日バイトオールだったから疲れてんだってば。」
「5分でいいから、付き合って。お願い!」
俺は1年と少し付き合っている彼女を連れて、車で1時間くらいの海へ向かっていた。後部座席には白い薔薇。
「…後でお昼ご飯奢ってよ?」
「何でも奢ってやるよ。」
俺は道の隅に車を止め防波堤によじ登った。春の日差しを受けて光る水面に目を細める。
「眩しー…」
「でも綺麗だねぇ。あたし海久しぶりに来たよ。」
「車からさ、薔薇取ってきてくれる?」
「え?あれあたしへのプレゼントじゃないの?」
「…どこの日本人男性が誕生日でもない日に薔薇の花束持ってデートに現れるよ?」
「…確かに。」
俺は彼女に取ってきてもらった薔薇を、思い切り振りかぶってキラキラ光る海に投げ入れた。大きな水面に
浮かんだそれは酷く小さく、ゴミのようにも見えた。
「…もったいないなぁ。薔薇なんて高かったでしょ?」
「臨時収入あったからいいんだよ。よし、これでおしまい。メシ行くか。」
「何かあったの?こんなことして。」
「内緒。何食いたい?」
「教えてよ!気になる!」
彼女と車に向かいながら、俺は海に沈んだ薔薇を思い心の中で呟いた。

『…オヤスミナサイ。』










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