『京都タワーに降る星は』





「楽しかったことしか、覚えてへんねん。」
「例えば?」
「二人で水族館に行ったこと、私が作って差し入れたドーナツ、
塩と砂糖間違えて入れてて食べられへんかったこと。」

「アレ不味かったなー。」
「一緒に行ったピーズのライヴ、松尾スズキの舞台。」
「小池栄子のチチ凄かったなー」
「……私がドンカンだっただけなんかな。」
「そうかもしれんし、ちゃうかもしれん。」
「なぁ、恋とか愛って何やと思う?」
「煙草の煙みたいなもん」
「そのココロは?」
「風がないとその場に漂っているけど、風が吹くとあっという間に消えてなくなる。」
「………風は、何やったんやろね?」



それは、本当に一瞬のうちに起こった。ある日出かける準備を終えた玄関先で靴を選んでいる時のことだ。背後から空気で出来たナイフで一突きにされたような衝撃、そして刹那のブラックアウト。しばしの静寂の後目をあけると、そこは地上ではなかった。かと言って空を飛んでいるわけでもない。長年住み慣れた街の、見慣れない位置からの眺め。察する、ここはきっと………

「…京都タワー?」
「ご名答。商品は出―へんけど。」
いきなりすっとぼけた答えを返した背後の声に目をやると、そこにはつい最近別れた彼氏が立っていた。
「…何であんたがここにおんの?」
「お前京都タワー上ったこと無い言うてたやん。」
「言うたけど。」
「意外と綺麗やろ?こっからの景色。」
「綺麗やけど。」
「ならええやん。」
目を細め彼はさあご覧、とでも今にも言いそうな気取った仕草で窓の外を示した。
「…これで一緒におんのが別れたオトコじゃなかったらなぁ。」
「失礼な女やな。」
「どっちが。フった癖に。」
「そんなこと言うなや。」
「タイミング悪いし。出かける寸前やってんで。」
「あ、それは狙った。出かける寸前を。」
「へー。あんたアレ予測してたんや。エスパーやなぁ。」
「んにゃ、アレは不可抗力。」
「皮肉も通じひんのか。」
「何かなー、もっ凄いおだやかーな気分やねん。」
「私一人カリカリしててアホみたいやん。」
「せやから、お前もおだやかーに夜景を見たらええやん。」
そんなこと出来るか、と声を上げかけたが止めにした。ついと視線を逸らし、控えめな光に包まれた夜の京都を見下ろす。手すりにもたれかかり、見つかるわけはないが何となく自分のマンションの灯を探した。
「私ん家どのへんやろな。」
「あの辺ちゃう?」
「テキトー言うてんなぁ。」
「タマキチ元気?」
「元気。あんた最後まであの子に嫌われてたよなぁ。」
「見る目の無いネコやんなー。こーんな優しそやのに。」
「ネコにはわかんねんて。優しそうと優しいは違うって。」
「じゃー、そんなオトコに引っかかったお前はネコ以下やなぁ?」
「………アホ。」
思わず涙ぐんだ顔を見られたくなかったので、あたしは顔中の筋肉を総動員して流れかけた涙を押しとどめ潤んだ瞳をあくびの所為にした。故意にではなく、これは生理現象によって流れた涙だと自分に言い聞かせ。
「お前まだ俺のこと好きなん?」
「…………好きだよ。悪かったなーしつこくて。」
「んー…そーか。ゴメンな、なんか。」
「何に対してゴメンなんよ。」
「俺、死んじゃってゴメンね。」

『ハイ、もしもーし。』
『あんた今一人?』
『うん。ボーっとしてた。』
『あんなー…落ち着いて聞きや。』
『何なん。』
『ヒロト、ついさっき死んだらしいで。事故で。』
『……………は?』
『トラックと原付、正面衝突で…』
『…ウソやんな?』



ほら、やっぱり嘘じゃないか。

くっきりはっきり目の前にいるじゃないか。

電話口で友人は通夜とか何とか言ってたけど、いるじゃないか。

私は通夜の席に向かう矢先だったけど、目の前にいるじゃないか。



なのに、どうして“死んじゃってゴメン”なんだろう?

どうして彼は私に触れられるのをさりげなく避けているんだろう?



「いるやん。そこに。死んでへんやん。」
「よくわかれへんけど、ユーレーなんちゃう?」
「足あるやん。」
「…触ってみる?」
差し出された腕に、私はどうやっても触ることができなかった。ぶんぶんと私の腕は空を切る。何度も何度も腕を振り回している私を、泣き笑いのような顔で彼は見ていた。
「なんで…」
「な?」
「私レーカン無いハズやで。見えたことないもん。」
「そんだけ俺のこと好きやったんやろ。」
「寒いこと言いなや!」
「ほんまのことやろ?」
「あんたなんかもう嫌いじゃ!」
「嫌いなら嫌いでええわ。俺が自己満足の為だけにお前に会いに来たって思ってたらいい。それで構わへん。」
今度こそ堪えきれなくなり、私は言い訳のきかない涙を流してしまった。ぼやけた視界の真ん中で、苦しそうな顔をした彼がこちらを見つめている。
「…ごめん。ごめん。」
「だからっ!何に対してのごめんなんよ!!」
「最初のはフっちゃってごめん、次のは死んじゃってごめん。」
「死ぬってルール違反やん!小説でも戯曲でも禁じ手や!!」
「禁じ手言われてもなぁ…」
「しかも何で私んとこ来たんよ!好きになった新しい女んとこ行けや!」
「んー、新しい女んとこには行けへんかってん。何かなー、俺お前が好きやったらしいねん。」
「何やムカツクなー!!」
「落ち着いて聞きぃや。最期のお別れは一人にしかできひん、しかも時間が決まってるって言われて真先に浮かんで
きたんがお前の顔やねん。」

「………」
「俺は、やっぱりお前が好きや。まぁ…でももう遅いわな。」
「……あんたほんまにサイテーやな…」
「ハンセーしてるって。」
「何で最期の最期でそんなカッコいいことしよんねん…」
「え?」
「“何やねんあいつ!私をフりやがって!”って私に思わせたんやから思わせたまんま死んだらええやん!
何で最後の最後で綺麗な思い出にしよんねんっ…!!」

「…ごめんな。」
「人の記憶に残る事しやがって……」
「もうすぐ俺消えるから。忘れてーや。悪かったな。」
「え?」
「消える時間。もうすぐ。」
「………イヤや。消えんといて。」
「はぁ!?お前言うてることバラバラやぞ!?」
「消えんといてよ!そや、ユーレーなら私に取り憑いたらええやん!」
「出来ひんわそんな事…。」
「何で死んだんよー……アホー…」
「…ごめん。」
「何で私泣いてんねん…!」
「俺が消えたら、お前も自分の部屋に戻れるしな。そしたら俺のこと何か忘れーよ。これっぽっちも覚えとらんでええわ。んで、新しい彼氏作り。」
「無理や!」
「無理でも、すんねん。俺は、俺のことを忘れるなとか、そこまでカッコイイこと言えへん。俺だけがお前のことを好きなまんま消えていったらええねん。」
「……行かんといてよー…」
「ごめん、時間や。」
「あんたがユーレーなわけないやん!ユーレーなら足無いハズや!」
「よく見てみ。」
さっきまではっきりあった足は薄ぼんやりと消えかかっていた。
「ゆ、ユーレーならうらめしやー言うて枕元に立て!」
「何やわからんけど……ごめん。」
「謝るな!」
「じゃあな。好きやったで。ありがとう。」
「何に対してありがとうなんよ!」
「俺の事好きでいてくれてありがとう…ってことや…」
「あんたなんか…………」



私の最後の言葉もまともに聞かず彼は消えた。

私は気づくと玄関で倒れていた。



水分を出しすぎてかさかさの唇も乾いていない涙でベタベタの頬もそのままに、私は喪服のポケットに突っ込んであった煙草に火をつける。煙を吸い込んだ途端空腹に気づき、月並みだがこんな時でも人間は何か食べないとお腹が減るという事実に少しだけった。こんなにも、悲しくて切なくてやりきれない気持ちなのに。数メートル先の灰皿まで身体を動かすのさえも億劫で私は床に灰を落とし、通夜に行く為にきちんとセットしてあった髪を掻き毟り、そしてため息を一つ。空気に向かって一人ごちた。



「………あいつの作ったチーズオムレツ、食べたいなぁ。」

食べられるはずはないのも、私は知っている、けど。



End.














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