『メロドラチック










美しい台詞回しの『ドラマ』は、ブラウン管の中だけに存在する。

日常生活にはその意味での『ドラマ』は存在しない。

まかり間違って日常に『ドラマ』が入り込んできたら?

恐らく室内の空気の温度が気分的には5度ほど下がり、湿度が皮膚感覚でわかるくらい上がるだろう。

もう一度、繰り返す。

日常生活に、『ドラマ』は存在しない。

そしてドラマは、時に悲劇と化す。






夏も終わりに近づいた8月の某日。7畳一間の私の部屋には、友人の
カヨが大量のアルコール類と共に転がり込んでいた。真っ赤に泣き腫ら
した目と、ハンカチじゃあ追いつかなくなったのかスポーツタオルも携えて。

「ちょー、アンタ聞いてんの!?」
「聞いてるわ。カヨ、ちょっと飲むの早過ぎ。あーあー、いいちこもう
半分しか無いやんか…」

「まだまだ袋ん中に沢山入っとるわ。それより、何か優しい言葉でもか
けてーや!」

「…っつっても…証拠ないんやろ?ミノル君が、浮気しとるって。」
そう、彼女が今夜私の家に来た理由は至極ありきたりなものだった。
“彼氏が浮気しているらしい(目撃証拠有り)”。文字に書くと酷く陳腐
だが、当事者にとっては陳腐の二文字で片付けられたらたまったものでは
ないだろう。ただ、私にとってはまるでドラマを観ているような気がして
いるのもまた事実である。シチュエーション的には『浮気をされた親友が
部屋に転がり込んできて彼氏の悪口三昧、呑めや歌え女二人の宴会』
といったところだろうか…等とカヨとの会話を続けながら不謹慎ながらも
私はそんなことをぼんやりと考えていた。

「証拠?5人も別口からチクりがあったら十分やろ。」
「相手は?」
「まだわからへん。」
「5人も見てんのに相手わからへんの?」
「敵も中々巧妙なオンナみたいでな、毎回ジャンルの違うカッコしてる
らしいねん。」

「例えば。」
「A君の証言は“すんごいミニスカはいたオネェ”、Bちゃんの証言は
“何かジーンズにスカート重ねた古着系?”C子ちゃんの証言は“フツーに
デニムの膝丈スカートにチェックの半袖シャツ”…」

「ふん。」
「D男君の証言は“何だかフリフリのブラウスを着ていた”E郎君の証言は
“パンツスーツを着こなしていた”、以上。」

「見事にバラバラやね。あ、でも髪型とか顔は?」
「皆うろ覚え。まぁそこまでカッコをバラバラにしてんねんから、メイクも
キッチリ使い分けてるやろな。カジュアルなカッコしてる時は帽子被ったり。」

「せやろな。あ、でも5人バラバラのオンナと浮気してるかもとは思わへんの?」
「実はこの前あのアホの携帯こっそり見てみてん。」
「…物的証拠も出たか。」
「したら見覚えの無い名前が一個あってな。」
「アンタの知らんミノル君の友達かもしれんやん。」
「いや、ない。皆知ってる。あたしもミノルも友達少ない上にカブってんねん。」
「…まぁ、私もミノル君知ってるしなぁ。」
「せやろ?んで、その見覚えの無い名前がな『春琴』いうねん。」
…春琴。よりによって。女性の名前ではあるが、私はその名を持つ(しかも
彼女は芸名だ)女性を一人しか知らない。

「……それって、谷崎の『春琴抄』?」
「多分な。おかしいやろ?」
確かにミノル君は春琴のような女性は好まないだろう。カヨは大人しくて
(彼の前では)従順な(あくまで彼の前では)少しおっとりした(しつこい
ようだが彼の前では)女だ。まるで正反対である。

「…春琴みたいなオンナ。」
「おったらイヤやろなぁ。ワガママで気ぃ強くて鬱陶しくて。」
「まぁ…あたしは嫌いやないけど。」
「あんたドMやからやろ。なぁ、誰やと思う?『春琴』。」
「いやー…って、わかるかいな私に。」
「だってあんた卒論谷崎で書くんやろ?何かないの。ヒント。」
「知らんて。」
「役に立たんなぁ。」
「そんなこと言われてもなぁー…ていうか、カヨは何でそんなにキレて
んのん。浮気されたんがムカつくんはわかるけど。」

「………あたしなぁ、妊娠してんねん。」
「はぁ!?」
私は無言で黙るしかなかった。そんな女の最終兵器まで出されたら、
ますますドラマみたいじゃないか。胸の内でそう呟き、はずみで手にした
焼酎をあおる。様々な意味を含む重い沈黙を破ったのは、カヨの方だった。

「あたし堕ろす気無いで。産む。」
「でもあんた学校は。」
「卒業するよ。どんだけ腹デカくなっても大学やったらギリギリまで通わせて
くれるんちゃう?授業料さえ納めてれば。よくは知らんけど。」

「相手はミノル君やんな?」
「他に誰がおんねん。あたしは他に男なんかおらん。」
「……まぁ、そやけどな。」
「せやから、あたしミノルの浮気が許されへんねん。」
「…もし別れようって言われたら?」
カヨは平然と言い切った。
「そんなん言われたら浮気相手のオンナを殺す。んで刑務所ん中でミノルと
結婚して子供産む。」

しこたま飲んだ焼酎の所為か据わって暗い目に気圧されながらも、私は必死で
“優しくてなおかつドラマチックな言葉”を探した。感動でエンディングを
迎えなければ、トレンディドラマとしては失格だ。

「そんな簡単に殺すとか言うたらあかんよ。…あんな、一個言うてええか?
カヨはな、今全速力で走ってんねん。」

「はぁ?」
「街中でな…まぁ四条でも難波でも梅田でも新京極でもええけど、思いっきり
走ってる人間って滅多におれへんやん。走ったら疲れるし、周りから目立つ。
せやし人の行動するスピードは、多分歩く位のスピードが丁度ええんちゃう
かなぁ。疲れへんし目立たへん。」

巧いようなそうでないような曖昧な慰めだが、個人的には決め台詞としては
かなりの高水準を保っているような気がした。

「せやけどむかつくねんもんー…」
と、呟くとカヨは我が物顔で占拠していたソファーに倒れこんだ。…どうやら
潰れたらしい。最後の最後まで何ともドラマチックな展開だ、とぼそりと
ひとりごちて私は自分用の布団を敷き眠りに落ちた。






翌朝私が起きて朝食を作っていると、二日酔いなのか私より少し遅れて起きた
カヨは無言で冷蔵庫から引っ張り出したペットボトルの水をラッパ飲みしていた。

「頭とか痛くない?もし痛かったら頭痛薬あんで。」
「……なぁ。春って気分的に何月から何月までやと思う?」
「は?何いきなり。」
「どう?」
「まー…3月から4月までの1ヶ月かなぁ。5月は春でも夏でもない気がすんねん。」
「宇野ミズキ。」
突然自分の名前を呼ばれて目玉焼きを焼くフライパンから顔を上げると、
にやにやと笑いながらカヨがこちらを見ていた。

「……何なん?」
「4月は春って今言うたよなぁ。四月は昔の異名で言うと卯月。…ウ・ヅ・キ。」
「……せやね。」
「ウノミズキ、略してウズキ。四月、春。それにあんたが今研究してる谷崎を
引っ掛けて『春琴』。ダサいなぁ。そんなもん三流推理小説やないか。」

私はカヨの気味の悪い笑顔の向こうにある明確な感情を察知した。しかし、
身体は痺れたようになっていて動かない。

「……別に、カヨを苦しめるつもりもミノル君を奪るつもりもなかってん。
これはほんまにほんまやで?」

「あんなぁ、あたし知っててん。ミズキがミノルの浮気相手やって。そんなん
携帯番号でわかるやん?」

「…………アンタ何してんの?」
リビングからは少し離れたキッチンから、カヨが後ろ手にカバンをごそごそと
探っているのが見えた。

「や、携帯のアラーム鳴りっぱなん気付いて。」
私は昨晩カヨに貸したジャージのポケットが携帯の形に四角く盛り上がって
いるのを横目で確認した。だとしたら、カバンの中にあるものは…

「……カヨ?」
「あんた昨日あたしが走ってる言うたけど…」
立ち上がりこちらに向かうカヨの手にキラリと光るナイフがちらりと見えたかと
思うと、次の瞬間それは私の腹部に音も無く突き刺さった。

「あ…………」
「走ったら、その分目的地には早く着けるやん?」
私は、霞み行く視界で微笑むカヨを見た。






END.











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