『雪の降る頃』



彼がアラザンしか口にしなくなって、1週間が過ぎた。他の食物を
進めても、聞く耳を持たずに銀色のそれだけを口に運び続ける。
「ねぇ。ヒロフミ。シチュー作ったよ。食べよう?」
「・・・・・・・」
「身体壊すよ。いい加減他のも食べないと。」
「・・・・・いらない。」
唾液に塗れた銀の粒がちらりと見え、あたしの気力は急降下してい
った。それ以上何も言わずにシチューを流し台に捨て、あたしはヒ
ロフミを部屋に残し真夜中の街へ出る。あの部屋にはどうしようも
ない空気が満ちていてあたしの呼吸は止まりそうで、死にそう。ジ
ーンズのポケットから煙草を出して夜の湿った空気と一緒に煙を吸
い込んだら、夜の空気と煙が胸一杯に流れ込んだ。

煙草とトマトとゴキブリと嘘が嫌いで。

白ワインとキュウリと猫と真実を好む。

痩せっぽちで小さな(あたしよりかは大きいが)ヒロフミ。

考えすぎるのが彼の悪い癖。

其れ故彼は壊れてしまった。

自分1人で世の中の全てを処理しようなんてバカな事を考えるから。

「ねぇねぇ、今ヒマ?」
「・・・・・はい?」
「ヒマならさ、どっか行こうよ。カラオケとか海とか・・・・」
あたしの中に生まれる、どす黒い熱。

・・・ヒロフミを、バラバラにする事を思う。

「そんな回りくどい言い方、いらない。ホテル行こう。」
「え?」
「セックスしよう。嫌なら別にいいけど。そこにあるよ。ホテル。」
「え、や、お願いします・・・・・」
男はバカで可愛い。けど、目の前の男はのっぺらぼうだ。のっぺらぼうの
手を引いて悪趣味な南国風の外観のホテルに行き、のっぺらぼうがあたし
の上で腰を動かす。のっぺらぼうが小さく呻く。

・・・あたし、何やってるんだろう?

「ただいま。」
「・・・・・・・」
「疲れた。」
「・・・・・・・」
「セックス、してきたから。名前も顔も無い人と。」
ヒロフミの顔がこちらを向いた。3日ぶり位に、顔をつきあわせる。
「セックス・・・・・?」
「あんたもうあたしを抱けないでしょう?ロクな食事してないんだから。」
「・・・アイ、シテルんだよ・・・ユミコ・・・俺は・・・・」
「・・・ちゃんと話してよ!聞こえない!」
無表情が、一瞬だけほころんだ。けど、その次の瞬間それはそれは静かにヒロ
フミの身体はフローリングの床に転がった。
「・・・・・ねぇ。」
答えるわけない。
「・・・・・卑怯者。」
答えるわけない。
「・・・・・言い逃げなんて。」
答えるわけない。答える事が出来ない。

「・・・・・バカ・・・・・」

あたしは何も出来なかった。

そもそも、誰かに何かを与えられるなんて思いが傲慢だった?

悲しいのはあたしに触れない彼じゃなくて、あたしを無い事にする彼だった。

それを考えることすら、傲慢だったんだろうか?


あたしのタマシイは何処へ?

彼のタマシイは何処へ?

あたしの感情は何処へ?

彼の感情は何処へ?


ヒロフミをベッドに横たえて、あたしはその上に彼が食べ続けていた銀の粒を
撒き散らした。ベッドの上に雪が降り積もっているように、なった。薄暗い部
屋の灯りにぼんやりと照らされた彼は寒気がする程神々しく、美しい。

これで、終わりだなんて。

非現実の中でキラキラ光る唯一のリアル。いっそこのままあたしも凍死しようか。

彼の、隣に寝転がって。











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